趣里はバレエ留学経験者!父、水谷豊が反対した女優を目指したきっかけとは

女優

2023年後期朝ドラ『ブギウギ』で主人公福来スズ子役で歌にダンスと実力を遺憾なく発揮して視聴者からも好評な女優の趣里

実は趣里は海外でのバレエ留学経験もある経歴の持ち主なのです。

プロバレリーナを目指していた10代の頃に留学先に大きな挫折を味わいましたが、見事に乗り越えて役者として大成されています!

今回は過去のインタビューやニュース等を元に集めた情報をもとに、女優趣里のバレエ経歴、そして挫折から役者を目指すきっかけになった話などを幼少期の写真や当時のエピソードを交えて紹介します!

ぜひ最後まで読んでいってくださいね(^^)/

【ブギウギ】趣里のバレエ(ダンス)に対する視聴者の反応

朝ドラ『ブギウギ』で華麗なダンスを披露している趣里に対する視聴者の評価は上々のようです!

物語の主人公福来スズ子がダンスを習い始めた頃には、わざと少し下手に踊らなければならないという難しい演技もこなしており、レベルの高さが伺えます。

趣里のバレエ経歴

それでは趣里のバレエの経歴について見ていきましょう。

4歳から始めたバレエ

趣里4歳の頃に同じ幼稚園の友達から誘われたことがきっかけでバレエの世界に入りました。

「一緒にバレエを習わない?」と、同じ幼稚園に通う友達から誘われたのは、4歳のときだ。最初は、軽い気持ちで初めてみたが、レッスンを重ねるうちに、やればやっただけ基礎が身につくこと。努力した分だけ、体が動くようになることが楽しかった。

引用元:FRAU

趣里が所属したのは、東京都世田谷区砧に本部がある井上バレエ団だと言われています。

wikipediaや他の情報サイト等には趣里は井上バレエ団に所属していたと記載されているのですが、その情報元がわからなかたので詳しく調べてみました。

すると、日本におけるバレエ公演のデータを記録保存しているサイトバレエアーカイブに、井上バレエ団の演目の出演者として名前が載っていました。

1998年の井上バレエ団12月公演『くりみ割り人形』にピンクねずみ役の欄に、趣里の本名である水谷趣里と記載されています。

出典元:バレエアーカイブ『’98井上バレエ団12月公演 ピーター・ファーマー美術による くるみ割り人形 全二幕』より

「バレエアーカイブ」は2020年3月に公開された、日本におけるバレエ公演のデジタルアーカイブです。バレエ公演の記録を保存し、公開することで、日本におけるバレエの発展に寄与することを目的としています。本アーカイブには1940年代から今日に至るまでの日本で上演されたバレエ公演データが収録されており、その情報は昭和音楽大学バレエ研究所が所蔵する公演プログラム冊子やキャスト表の現物を元としています。

引用元:バレエアーカイブ

どうやら趣里が井上バレエ団に所属していたというのは本当のようですね。

さて、4歳でバレエを始めた趣里は、6歳の頃に初舞台で『カルメン』の舞台に立ったそうです。

6歳で初舞台を披露した趣里さん
出典元:youtube 松浦景子の【けっけちゃんねる】

そして小学校2年生の頃には、前述した通り『くるみ割り人形』のピンクねずみ役、学年が上がるごとに主役であるクララの友達役など主要な役を演じ、趣里が小学6年生の頃の2003年公演では主役であるクララを演じる迄に成長していました。

この主役のクララ役を演じたことで本格的にバレリーナになることを意識し出したそうです。

ちなみに実家でお母さんの元キャンディーズ伊藤蘭が飼っていた猫ちゃんの名前は趣里が演じた思い入れのある名前ということでクララと名付けたそうです。

プロバレリーナを志す中学生時代

中学生時代の趣里
出典元:youtube 松浦景子の【けっけちゃんねる】

プロバレリーナを目指して日々練習に励んでいた中学生時代を過ごした趣里は、中学2年生の頃くらいからが海外でバレエを学びたいと思うようになります。

海外に行けたらいいなっていう気持ちが中2の頃から出てきました。やっぱり日本ってちょっと窮屈だなっていうのは感じていたので、外に出たいって思う時期なんでしょうね。何かを変えたいって思ったのかな。

引用元:HIGHFLYERS 趣里インタビュー

海外でバレエを学びたいという想いが日に日に強くなり、中学卒業後、高校に進学せずにイギリスのロンドンにあるArts Educational Schools(アーツ・エデュケーショナル・スクール)のオーディションを受け、見事合格を果たしています。

イギリスの高校は9月スタートのため、趣里は3月に中学校を卒業してから留学に行くまでの間は都内にあるインターナショナルスクールに通って英語の勉強をしていたそうです。

イギリス留学での大きな挫折

イギリス留学時代の趣里
出典元:youtube 松浦景子の【けっけちゃんねる】

15歳で単身ロンドンに渡った趣里は、Arts Educational Schools(アーツ・エデュケーショナル・スクール)に入学しました。

留学先では寮生活で、初めは言葉の問題で苦労したそうですが、ルームメイトともすぐに打ち解けて充実した学校生活を送っていたようです。

イギリス留学中は寮生活を経験しました。4人部屋で、最初は英語がまったくわからず辞書を引いて会話していたのですが、まわりの人が簡単な英語で話してくれて、気づいたら理解できるようになりました。みんな優しくて、とてもいい経験でした。

引用元:UR 未来を照らす(22)女優 趣里

しかし、留学してから2年程したある日、バレエの練習中にジャンプからの着地を失敗してしまいました。

痛めた時にはただの捻挫だと思っていたそうですが、実際にはアキレス腱断裂足首の剥離骨折という大怪我を負っていました。

趣里
がまだ17歳の頃です。

そしてこの怪我が原因で当分バレエをすることができない為、Arts Educational Schools(アーツ・エデュケーショナル・スクール)を中退して、帰国することになってしまいました。

趣里がバレエを断念して役者になるまで

日本の医者にも怪我の具合を見てもらい相談しましたが、元のようには踊ることができないかもしれないと診断されたことで、趣里は絶望的な気持ちになったといいます。

リハビリを続けながらバレエの練習に打ち込みましたが、やはり思うように動くことができずにここでプロバレリーナになるという夢を諦めざるを得なくなってしまいました。

帰国から大学進学

帰国した趣里は、予備校に通い高等学校卒業程度認定試験大学高卒認定を取得して大学へ進学しました。

趣里が大学に進学したことは、過去に本人がインタビューで答えているので確かですが、どこの大学に進学したのかは公表していない為、不明となっています。

ただ趣里が進学した可能性が高い大学として2大学が噂されています。

それが、日本大学芸術学部演劇学科明治学院大学文学部芸術学科です。

日本大学芸術学部演劇学科に通っていたと言われている理由としては、『i-D Japan No.6』フィメール・ゲイズ号でのインタビュー記事に大学について趣里が以下のようにコメントしていた記事があるからだと思われます。

高卒認定をとって、芸術学部のある大学に進みました

引用元:i-D 母親の背中を見つめて:趣里 インタビュー

“芸術学部”とコメントしていますね。

またWikipediaの趣里の項目にも、2009年に一般入試で母である伊藤蘭が通った日本大学芸術学部演劇学科に入学したと記載されています。

インタビュー記事に“芸術学部”と記載があり、wikipediaにも母親と同じ日本大学に進学したと記載されていることから、こちらの情報を信じている人が多いと思われます。

しかし、趣里の他のインタビュー記事の中には、“芸術学部”ではなく“文学部芸術学科”であるとコメントしているものもあります。

趣里:文学部芸術学科です。演劇の歴史を学んだり、映画鑑賞をする授業や、身体表現の授業などがあって、おもしろそうだなと思い選びました。

引用元:AERAdot.『ケガでバレエ断念…女優・趣里「舞台で踊れてうれしい」 15歳で英国に留学経験も』

また、他にもHIGHFLYERSのインタビューでも“芸術学科”であるとコメントしていました。

大学が芸術学科だったので、一通り美術の歴史も学んでいるので観ていて面白いです。

引用元:HIGHFLYERS 趣里インタビュー

都内で文学部芸術学科があるのは、明治学院大学です。

このことから趣里は明治学院大学に通っていたのではないかとも言われているようですね。

日本大学か、明治学院大学のどちらに通っていたのかは不明ですが、個人的にはおそらくしっかりと文学部芸術学科であるとコメントされている明治学院大学に通っていた可能性が最も高いのではないかと思います。

父、水谷豊が反対していた役者の道へ

バレリーナの夢を諦めて失意の中、気分が落ちているときに、お母さんが演劇に連れ出してくれていたそうです。

お父さんである俳優の水谷豊もインタビューで趣里について「大学時代、蘭さんの舞台を見に行って、興味を抱くようになったみたいで。」と語っていて、お母さんの舞台を見たり、自身で観劇をしていくうちにどうしても表現をする世界が好きだという想いがあることに気が付き、役者に興味を抱くようになっていったそうです。

舞台を観劇しに行った際に、事務所の人から「興味があったらレッスンしてみる?」と誘われたことから、俳優で映画監督でもある塩屋俊が主宰する演技学校アクターズクリニックでレッスンを受けるようになりました。

アクターズクリニックで演技について学びながら大学に通っていましたが、女優業に専念するために4年生の頃に大学を中退しています。

ただ芸能界の大先輩である水谷豊は娘には芸能界に入ってほしくなかったそうです。

水谷豊は雑誌のインタビューでも以下のように語っていました↓

本音を言うと、趣里には芸能界に入ってほしくなかった。だってこの世界、どんな男がいるかわからないし。(笑)
それに、天国と地獄を味わわなきゃいけない。だから子どもの頃から、「こっちに来ちゃダメ」と言い聞かせていたんですけどねぇ。

引用元:婦人公論 水谷豊インタビュー

趣里は、水谷豊には役者になりたいということは言わずに、母の伊藤蘭に対しては自分の想いを伝えていたようです。

お父さんに言っても反対されるだけですからね・・・。

ただ、初めは反対していた水谷豊でしたが、今ではもう立派に役者として成功している趣里に対しては何も言わずに認めているそうです。

また2023年10月には週刊文春の取材で水谷豊と趣里の2人で新会社を設立したことが分かっています。

「僕(の役者人生)はどう考えても、あと何年。趣里よりは早く終わりますよ(笑)。その時に、娘は一人っ子ですけど、何か好きなことにチャレンジできる場所を作っておきたい想いがあって。僕の代が終わっても、趣里が継いでくれれば、そのまま続けられる。もし趣里が要らないなら、いつでも辞められる。どうにでもできる会社を1つ作ったんです」

引用元:文春オンライン

このことからも、水谷豊は趣里の事を認めていることがわかりますね。

挫折を乗り越えて

趣里は大学在学中にエイベックス・マネジメントに所属して、2011年には『3年B組金八先生ファイナル〜「最後の贈る言葉」4時間SP』で女優デビューを果たしています。

デビューするにあたって、自身の名前から姓を取って”趣里”だけにしたのは、世間から親の七光りと言われたり、親の知名度や影響力を使うことなく自分の実力だけで頑張りたいという気持ちの表れだったそうですね。

そして趣里はデビューしてからは実力が認められてドラマ・映画と途切れることなく出演しており、多忙のため2012年には4年生の頃に大学を中退しています。

大学中退してからも多くの作品に出演し、2018年には映画「生きてるだけで、愛。」日本アカデミー賞 新人俳優賞を受賞しています。

そして、2023年11月現在では朝ドラ『ブギウギ』の主役を務めるという、名実共に女優として成功を収めています。

趣里のバレエダンスが見られる動画

最後になりますが、趣里がバレエを少し披露している動画があるので紹介しますね!

映画『おとぎ話みたい』劇中曲『COSMOS』のMVで街中でダンスしている趣里を見ることができます↓
(再生するとダンスシーンから始まります)

まとめ

今回は趣里のバレエや女優を目指すまでの経歴について詳しく調べました!

4歳からバレエを始めて、15歳で単身ロンドン留学をするほどの実力を持っていましたが17歳という若さでプロバレリーナになる夢を諦めざるを得なかった趣里。

帰国した後も腐ることなく大検を取って一般入試で大学に進学するという強い心をもった素敵な女性だと思います。

“女優として成功を収めた”と書きましたが、まだまだ30代と若い彼女は、もっと活躍していくことでしょう!

最後まで読んで頂きありがとうございました!

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